学士会館 東京都千代田区神田錦町 2024年10月訪問

 一般社団法人学士会は、明治19年(1886)に創立された旧帝国大学(現国立七大学)の同窓団体である。現在の学士会館旧舘は関東大震災後の大正15年(1926)から昭和3年(1928)にかけて建設された。北側には昭和12(1937)年に新館が増築されている。学士会館内のレストランについては株式会社精養軒に営業委託していたが、昭和7年(1933)からは、株式会社学士会館精養軒が独立して会館全体(レストラン・ホテル・会議室・宴会場・結婚式場)の運営を委託されている。現在では学士会員に限らず誰でも利用できるが、会員は各施設の利用料金が若干割引される。
 再開発のために2024年末から5年間ほど営業を停止する。白山通りの拡幅のため、学士会館東側の裏通りを廃止したうえで、曳家によって学士会館旧舘を東側へ7mほどセットバックする予定らしい。
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学士会館旧舘
 白山通り(写真左奥・北―右手前・南)と神田警察通り(右奥・東―左手前・西)の交差点に建つ学士会館旧舘。2本の通りは正確には直交しておらず、建物の平面角度も道なりに若干鈍角をなしている。
 当初は大正12年(1923)に建設開始予定であったところ、起工式当日に関東大震災が発生したため、設計を始めからやり直した。佐野利器(1880-1956)によって提唱された近代的な耐震設計法(震度法)を適用した事例として最も初期に属するものであろう。具体的な設計震度よくわからないが、0.3Gくらいは見込んでいるのではなかろうか。
 旧舘は地下1階地上4階(一部5階)であるが、地下1階は半地下構造であり、地上1階の床レベルは地上3mほどもある。地上1階にはフロント・談話室のほか、和洋中のレストランやバーがあり、普通のホテルのように誰でも立ち入れる。2階・3階は会議室・宴会場・結婚式場などである。4階が宿泊室である。4階の角の左2つおよび右4つの窓が下で紹介する412号室である。

旧舘の玄関
 白山通りに面した旧舘の玄関。構造としては重厚すぎる半円形アーチ構造である。アーチ残面に見える輪石は構造材ではなく表装材なのかも知れない。少なくとも頂部にある巨大な要石は3つの輪石の前面に設置された表装であることが容易にみてとれる。このアーチは暗い紫色で塗装されていて、その色彩は特に昼光のもとで見ると決していい感じのものではない。いつどのような経緯で塗装されたのかわからないが、再開発の際には、ぜひ、元来の石材の地色に戻していただきたい。
 前述のように地階が半地下で高さがあるため、1階にあがるために玄関の外側に9段、内側に5段の階段がある。この玄関は深夜以外は解放されているが、主玄関フロントは新館にあり、そちらには1階にあがるためのエスカレーター設置されている。

412号室(西側)
 館内は階段エレベーターホールなども重厚な造りである。4階の廊下から412号室の入り口を入ると西向きの窓を持つリビング(左写真)であり、お茶やコーヒーも用意されている。リビング奥の建物角部にもテーブルと椅子がある。このアールのついた角部には窓がなく若干閉鎖的な雰囲気であるが、内壁には大きな窓枠のようなものがあり、外壁も建設当初から対応する矩形部のタイル材質が不規則である。もしかすると、将来的に曲面ガラスなどを入手して開放的な窓を設置する計画があったのかもしれない。

412号室(南側)
 リビングから建物角部を左に折れると、南向きの窓を持つツインの寝室である。西側とあわせて約45m2クローゼット洗面所トイレ浴室などもこちらにある。

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