日本の佳宿

ホテルニドム 北海道苫小牧市
北海道らしい広大な森の中にコテージが散在する。新千歳空港からほど近く、道外から北海道を訪れる際には、ここでの一泊二泊を加えれば、大変に贅沢で余裕のある旅程になるだろう。

酸ケ湯温泉 青森県・八甲田山
日本屈指の豪雪地にありながらバスや自家用車で通年アクセスが可能である。山中の一軒宿ではあるが規模が大きく、ちょっとしたひとつの温泉街のようなにぎわいをみせている。山岳スキーの拠点としても知られる。

八甲田ホテル 青森県・八甲田山
ぶなの森の中にたたずむ木造のリゾートホテル。宿泊の翌朝は吹雪模様の荒れた天気となった。このような日には佳いホテルにとじこもり、温泉やレストランでのんびり過ごすのもまた一興である。

金吹沢鉱泉 青森県八戸市
静かな池に面したラドン鉱泉で素泊まり\2,625。しばらく世間から雲隠れして住み込みたくなるような宿である。しかし2012年に閉館し現在は宿泊できない。たたら製鉄が行われていた場所と伝えられ、周辺には白銀や金屎という地名もある。

羽黒山斎館 山形県鶴岡市・出羽三山神社
明治初期の廃仏毀釈以前の羽黒山華蔵院で、元禄10年(1697)の建築とされている。しかし、宝永7年(1710)絵図に描かれた華蔵院は、現在の様子とは似ても似つかないものである。

郷思館 新潟県村上市温出
山形との県境にある茅葺きの豪農の館。全部で6部屋62畳の一棟貸、しかも豪華な2食付きで15,000円。採算は度返しで地域遺産の維持保全を主眼とした運営だと感じられる。 2023年に登記記録を閉鎖している。

寿屋 新潟県・信越本線長岡駅前
商店が立並ぶ長岡駅のどまんまえ、繁華街の一等地にある。それなのに人の気配が希薄で、地元住民にも不思議がられる謎めいた旅館だった。いつしか廃業し、2016年末に解体されてしまった。

東山荘 富山県南砺市井波・瑞泉寺門前
越中一向一揆の中核となった瑞泉寺の壮大な山門の真正面に位置する旅館。しかし山門との間には鉄壁の石垣が立ちはだかる。国を平定しようとする戦国大名と自治を死守しようとする一向宗徒の壮絶な戦いを感じる。

中谷旅館 長野県長野市・戸隠神社門前
戸隠神社中社大鳥居の真ん前に位置し、標高はちょうど1,200mである。古くから人々が定住して年間を通して安定した生活を営んでいる点からは、戸隠中社門前町は日本を代表する高所集落と言えよう。

金具屋 長野県・渋温泉
この写真では平屋かせいぜい2階建てのように見えるが、実は金具屋斉月楼の4階部分である。どのような条件を満たせば木造4階部分の宿泊営業が可能なのかわからないが貴重なものである。

王ヶ頭ホテル 長野県松本市・美ヶ原高原
日本百名山のひとつ美ヶ原高原の最高地点 王ヶ頭山頂(2034m)に立地する。送迎バスによって通年でアクセスでき、リゾートホテルと呼ぶにふさわしいサービスを提供している。

ホテル千畳敷 長野県駒ヶ根市・中央アルプス
中央アルプス宝剣岳の東面、標高2,640mに立地する。駒ヶ岳ロープウェイの駅に直結している。特別な登山装備なくして、しかも公共交通機関により通年でアクセスできる宿としては日本最高の標高であろう。

ゑちごや 長野県・中山道奈良井宿
諏訪から木曽への入り口の宿場で寛政年間(1789~1801)から代々越後屋藤兵衛により途切れなく営業し、建物も当時のままである。9代目藤兵衛はまだ若いし、かわいい跡継ぎもそろっていて心強いばかりである。

桔梗屋 長野県・中山道/甲州街道 下諏訪宿
甲州街道と中山道との合流点角地という交通の要衝で元禄3年(1690年)から代々桔梗屋善右衛門により途切れなく営業してきた旅館(旅籠)である。すぐ向かい側に下諏訪温泉の源泉「綿の湯」がある。

井出野屋 長野県佐久市・中山道望月宿
江戸や明治の伝統的な民家や旅籠が数多く多く残る中山道にあっては、大正時代に建てられたこの木造3階建ての外観はむしろモダンな印象を与える。2023年5月に廃業。

白駒荘 長野県・北八ヶ岳 白駒池畔
標高2,115mの白駒池の西岸に位置し、大正11年(1922)の創業当時からの建物が健在である。山小屋というのが無難であろうが、山岳リゾートと言った方が当たっているかもしれない。

京亭 埼玉県大里郡寄居町
関東平野へと流れ下る荒川の断崖上に位置する。田山花袋が「山河襟帯關八州雄視 古城跡空在一水尚東流」と詠んだ名勝玉淀の山河と鉢形城址を当時そのままに借景とした美しい宿である。

学士会館 東京都千代田区神田錦町
大正12年(1923)に建設開始予定であったところ、起工式当日に関東大震災が発生したため、設計を始めからやり直し、昭和3年(1928)に竣工した。近代的な耐震設計法(震度法)を適用した建築として最も初期に属するものであろう。

對僊閣 神奈川県鎌倉市・長谷寺門前
高欄のある2階の窓辺から眺めていると長谷寺参道の人波は朝から途切れることがない。しかし黄昏時になると急に人影が絶えてひっそりするのも鎌倉らしい風情である。夜中に不思議な体験ができるのも、この宿の魅力だ。

かいひん荘 神奈川県鎌倉市由比ガ浜
もともとは大正時代に建てられた個人住宅である。旅館やホテルといった雰囲気が希薄なこじんまりした2階の洋室でゆっくりしていると、十数年来ここの住人であるかのような気分になってくる。

湯本館 伊豆・湯ヶ島温泉
狩野川の河原に無色透明のさっぱりとしたお湯が湧いている。川端康成が定宿として「伊豆の踊子」などを執筆したこと、若山牧水がたびたび滞在して「山櫻の歌」を詠んだことでも知られている。

福田屋 伊豆・湯ヶ野温泉
湯ヶ島から天城峠を越えて河津・下田へ下る街道沿いの温泉宿。川端康成「伊豆の踊子」の主要な舞台として有名な宿である。太宰治は「温泉が湧き出てゐるといふだけで、他には何のとるところも無い」と評した。

安田屋 静岡県沼津市内浦三津
伊豆半島は付け根部分の駿河湾が大きく東へくびれた形をしている。このくびれ部分が内浦湾であるが、その内浦の最南部の三津(みと)の浜に面して安田屋旅館はある。 沼津駅あるいは伊豆長岡駅から路線バスでアクセスできる。

千歳楼 岐阜県養老郡養老町
元正天皇が西暦717年にこの地の霊泉に行幸し、元号を養老と改めてから千年を経て創業したことから千歳楼(せんざいろう)と名付けられた。現在の建物は明治13年から昭和初期にかけての建築。客室の多くが懸造りとなっている。

八景亭 滋賀県・彦根城
三百年以上の歴史を持つ大名庭園の池に浮かぶ葭葺屋根の茶屋。歴代藩主が客をもてなしたであろうその部屋に宿泊できることは奇跡的といえよう。まことに残念ながら旅館としては2017年に廃業している。

亀石楼 京都府宇治市・平等院対岸
平等院対岸の朝日山麓では唯一の静かな旅館である。応神天皇が宇治川の河畔で出会った女性のためにこの地に離宮を建て、その皇子は宇治天皇と称された。亀石楼自体も、ある有名人の妾宅であったとの巷説がある。

観鹿荘 奈良県・東大寺南大門々前
東大寺南大門からわずか百数十メートル。東大寺塔頭であった惣持院の客殿を大正年間に移築したもので、格式のある玄関や大屋根が見事である。

朝日館 奈良県吉野郡川上村柏木
紀伊山地の核心部である。吉野川流域であるが朝日館が創業した明治中期には吉野方面からは荷駄の通行も困難で、むしろ熊野・伊勢からの交通が便利であったろう。この地域は南北朝合一後も政権に抵抗し続けた後南朝の拠点でもある。

三木屋 兵庫県豊岡市・城崎温泉
左写真は西館22号客室の入り口。奥にみえる板戸を開けば広々とした式台が廊下まで続き、入り口だけで10畳分の広さがある。まるで大名屋敷の表玄関ではないか。旅館内の一客室の入り口としては破格のしつらえと言えるだろう。

住之江旅館 瀬戸内海・生口島 瀬戸田
瀬戸田で製塩業を営んだ浜旦那と呼ばれる大富豪堀内某が大正初期に私邸として造営したという風格のある建築である。瀬戸田水道の潮流に面した二階の角部屋から瀬戸内の眺望を満喫できる。

厳妹屋 広島県廿日市市宮島町
「いつもや」と読む。厳島神社参道の裏通りにひっそりとある。改造が最小限に抑えられ、快適でありつつも旧来の町家がそのまま感じられる点で、最近の観光地に雨後の筍のごとく増殖する古民家の一棟貸しとは一線を画している。

白為旅館 山口県岩国市・錦帯橋 東詰
外観や客室だけをみれば特筆するような宿ではなかろう。しかし、これほど雄大な歴史遺産を部屋から間近にして一晩堪能できる宿は他にあるまい。料理も素晴らしい。夕食は勿論のこと朝食も秀逸である。

以志や 香川県さぬき市・志度寺門前
四国86番札所への参詣道にたたずむ宿。部屋から涼しげな中庭を眺めていると、かすかに蚊のうなる声が聞こえてくるようだ。妙に洒脱したりしない、このようなたたずまいこそ風流というものだ。

星羅四万十 高知県四万十市
「せいらしまんと」と読む。けだしキラキラネームというものであろう。高知県西部の四万十川中流の左岸に位置する。隣接する四万十天文台は実質的にこのホテルによって運営されている。

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