郷思館 新潟県村上市温出 2013年12月訪問

 新潟と山形の県境、つまり越後と出羽の国境である。国境には白河関・勿来関とともに奥州三関の一つに数えられる鼠ヶ関が置かれ、古代日本にあってはそこから先は蝦夷地という辺境であった。最寄り駅は羽越本線府屋駅。なぜここが特急停車駅となっているのか、いぶかしくなるような海岸の駅であるが、この駅に特急「いなほ」が停車することにより郷思館へのアクセスは格段に便利になっている。駅から郷思館までは約3km、予約すれば車で送迎してもらえるし、タクシーも電話で配車可能だ。駅前からの路線バス(温出バス停下車)もあるが本数は少ない。
 郷思館は1884年(明治17年)に建てられた豪農 本間家の邸宅である。酒田の豪商・大地主の本間家と関係があるのだろうか。この住宅は同時期に建てられた倉庫とともに登録有形文化財に指定されている。民間企業の福利厚生施設として利用された後、2003年(平成15年)に解体されようとしていたところを地元の篤志家が保存のために買い取った。6部屋合計62畳、建築面積226m2、敷地面積1,700m2の一棟貸、しかも豪華な2食付き2人で3万円というのは、あきらかに採算を度返しした料金設定だと言えよう。近隣の多くの人々が建物や庭の管理、女将、料理人、客の送迎などに関わり、地域ぐるみで保存・運営している様子が感じられる。

<らくだ倶楽部> <国指定文化財 主屋倉庫> <Google地図> <地理院地図>

勝手口
 郷思館の館内西端は細長い土間の調理場となっており、南西角には南に面して勝手口がある。勝手口の隣には宿泊客が使用する潜り戸のある玄関、および東寄りには式台を有するかつての来客用玄関があり、南正面には計3つの入り口を有している。
 左奥に見えるのは西隣の民家の茅葺屋根。この民家は規模こそ郷思館よりやや小さいものの、住宅であったころの郷思館の様子を彷彿とさせる。

板の間A(12畳)
 玄関から上がった板の間。中央には大きな置き炉があり炭火をおこしていた。夕食はこの置き炉でいただいた。左手のガラス戸の外が土間の厨房で、夕食と朝食はここで調理される。専任の料理長と女将さんが調理にあたり、食事の質は大変に高い。
 暖炉横のガラス戸の向こうにはトイレ(洋式および男性用)、洗面所浴室などがあり、客室Eの入り口もこちらになる。レンガの暖炉はフェイクであって、茅葺屋根に通じるような煙突は存在しない。おそらく暖炉まわりの壁や引き戸はもともとは無く、板の間が奥まで続いていて、暖炉の位置には大きな囲炉裏があったのではあるまいか。そして、その先の現在浴室・洗面所・トイレがある北側スペースは勝手口から続く土間になっていて、竈や流しがあったのではあるまいか。

客室B(15畳)
 板の間Aの隣の大変に広い居間であり、部屋の南よりにはテーブルと椅子のセットが置いてある。このテーブルでは到着時に抹茶をいただける。朝食もこのテーブルでいただいた。
 この部屋のなかほどの畳にには小さな囲炉裏が切ってあり、やはり炭火をおこしている。囲炉裏の暖房効果はほとんどあるまいと思うが、館内にはエアコンのほかに大きなガスストーブが何台かあり、12月という冬の季節であったが寒さの心配は無用であった。

客室C・D(ともに10畳)
 奥座敷である。写真右側の客室Cには来客用の玄関がついていて、表から直接入れる構造になっている。来客は玄関からまず客室Cにあがり、ついで奥の客室Dに進んで床の間の前に招じられたことであろう。二つの部屋の間の欄間はケヤキの一枚板の透かし彫りになっており、また、付書院の明り取りには本間家の屋号紋が透かし彫りになっている。
 我々が宿泊した時には客室Cに布団を敷いていただき寝室として利用した。この二間は東に面しており、広縁の外には池や十三重石塔のある庭園が眺められる。広縁の北端には手洗い場トイレがある。
 なお、客室Cの南東側、つまり屋敷の南東角部には床の間付きの客室F(6畳)があるはずなのだが、その部屋を見た記憶がないのである。館内が広すぎて当日は気が付かなったものと思われる。

客室E(9畳)
 唯一屋敷の北側に面した北向きの客室である。もともとは寝室であったのだろう。他の客室からの独立性が高く、板の間Aから他の客室を通らずに入ることができ、さらに北側広縁の奥にはこの部屋専用のトイレがある。

 山北町温出にある国登録有形文化財の茅葺き住宅(旧本間家住宅)が、お盆過ぎから旅館、宴会場として生まれ変わった。一昨年秋、不動産会社を通し解体して関東方面に移築するという話を聞いた、府屋在住で元町議の富樫正二郎さん(五六)が、「地域の大切な文化財。流出させてはならない」と買い取ったもので、旅館を運営する富樫秀信代表も「営利は二の次。山北町の古民家のもつ時間と空間を超えた世界を多くの人に実感してもらいたい」と述べている。
 JR府屋駅、国道七号から車で10分ほどに建つ茅葺き住宅は明治17年の建築。母屋の屋根は寄棟造り、間取りも六間取りの形式をもつなど、近代初頭の座敷構えを残している。また欄間がケヤキの一枚板の透かし彫りになっているなど、旧家の重厚なたたずまいをそのまま残しているのが特徴だ。平成13年の8月には国登録有形文化財に指定されている。前所有者が約一億円を投じて改修、補修をしたこともあり、旅館、料亭としても違和感はない。敷地面積は千七百平方メートル、母屋(平屋二二六平方メートル)のほか切妻造りの土蔵、池を配した庭もあり、屋敷全体が趣ある空間となっている。富樫さんが取得したのは一昨年の暮れ。広く地域内外の人にその空間に触れてもらおうと、旅館、宴会場での利用を決めた。囲炉裏など八百万をかけてさらにリニューアルし、7月末に許可が下りたため、営業を開始した。名称の「郷思館」は、旧地区名の大川郷を思う館という意味で命名したという。提供する料理は地元、山北町漁協で揚がった新鮮な魚介類がメインで、客室は8畳から20畳まで五室あるものの、宿泊は人数に関わらず25人まで一組限定。6人から10人の場合、一泊二食付きで八千円となっている。二千円から昼食メニュー、夕食、宴会メニューも揃えている。
サンデーいわふね(いわふね新聞社) 2005年(平成17年)9月18日付記事より
前所有者が約一億円を投じて改修:新発田市の板垣工務店が保養所として整備した。いつごろ同社が取得・改修したのかはよくわからない。
追記:有限会社郷思館は、2023年に登記記録を閉鎖している。
日本の佳宿