手前の15畳が下段の間、左奥の12.5畳が上段の間である。私どもの宿泊のために供されたのは下段の間だけであるが、上段の間には翌日の会食のための膳が用意されていただけで、折角なので襖を開け放って撮影させていただいた。
これらの部屋は広間からは祭壇や物置を隔てて
拡張された建屋部分にあって、広間からの独立性が高く、少人数の宿泊によく使われているようである。下段の間の
襖の向こうには
8畳2間があるが、これらは物置として使われている。上段の間の
書院には
菊の紋章が透かし彫りになっており、勅使の間とも呼ばれている。上段の間の
床の間裏側には
茶室(香嵐亭)が設けられており、面積は小さいだろうが宿泊室にも使用されている。この
茶室まわりは明治以降にもたびたび改修されているようである。
上段・下段の間から中庭を隔てて見た新館。いつごろ増築されたのかはよくわからないが、これもまた周囲の環境と良く融和した好建築である。北西側傾斜地にあって、写真左の旧舘からの渡り廊下から入ると新館の2階である。
2階の広縁からは庄内平野を展望できるらしい。1階と2階のそれぞれに、襖で仕切られた
8畳2間、12畳2間、
30畳1間(打ち抜けば70畳の広間)と、トイレ・洗面所がある。
この日は9人の講の団体が新館の2階に宿泊していて、この一行は翌早朝にはかなり本格的に本社に参拝していた。全員が大ぶりな数珠を持参しており、神仏習合の羽黒山信仰が今なお根強く生き続けていることを感じさせられた。