写真では見えていないが、この先300mほどで
志度寺に至る。また、手前600mほどに
平賀源内旧邸がある。徒歩2~3分で志度湾に面して屋島を望む
海岸に出ることができ、特に景色がいいわけでもないが、ぶらぶら散歩をするのもよい。
街道に面してこの写真の右手前に見えるのが以志やの
北棟で、道から奥方向に
中棟、
南棟と三棟の建物が並んで旅館を構成している(
航空写真)。北棟は明治初期の建築で、中棟は大正期、南棟は昭和期の建築らしい。客室は中棟と南棟の1、2階に1室ずつ、計4室のこじんまりとした旅館である。
街道に面した
玄関から入って突き当り左側にあり、夕食や朝食はここでいただく。旅館のロビー的な存在であり、テレビも置いてある。玄関からここを通り過ぎて直進し、北棟を通り抜けると中棟へ通じる渡り廊下へつながる。
旅館の隣には「旬彩料理以志や」という小さな料理店が併設されていて、旅館の食事はそこで調理されるのだが、料理店は水曜日が定休である。旅館についても、楽天のサイトでは水曜日夜の宿泊は素泊まりでも受け付けていないが、少なくとも私の2回の経験では、電話で問い合わせてみると、夕食を付けなければ水曜日夜の宿泊も可能であった。朝食は水曜・木曜ともに旅館でいただくことができる。水曜の夕食は、近くの
富士屋旅館の1階にある寿司屋を利用した。しかし以志やで食事ができるのであればそちらの方がよかろうと思う。駅前にはガストがあり、以志やでもそこを紹介してくれるのだが、このような風流な宿に泊まってガストでもあるまい。
中棟から北棟方面を見たところで、画面右奥に見えるガラス戸が北棟の食事処である。左側の渡り廊下の途中には洗面所がある。この写真には写っていないが、中庭を囲むように右側にも渡り廊下があるが、そちらは
雑然としている。右側の渡り廊下には
トイレもあるが使用できない。
左の白い襖の向こう側は渡り廊下につながる通路になっていて、南棟に客があれば、その通路にもなっている。襖には鍵などないから、神経質な人は予約時に2階をリクエストするとよかろう。襖の上の
欄間は一見単純なようだが、よく見ると手の込んだものである。
右のガラス戸の外の様子が1枚前の
写真(北棟と中棟の間の中庭)である。一方、反対側(南側)の外の様子が次の
写真(中棟と南棟の間の中庭)である。
この部屋は8畳間であるが、北側・南側の両方に2畳ずつの広縁がついている。したがって広縁まで入れれば合計12畳で、天井も高くてずいぶん広々している。さらに広縁の外には南北ともに
濡縁がつく。部屋の東側には
床の間があり、
福岡青嵐の掛け軸が掛けてある。掛け軸はときどき替えられる。
中棟1階の南側広縁から見た中庭である。向こうに南棟が見える。この中庭には金魚のいる
つくばいがあって夏季には涼をそえる。
庭の右側には中棟と南棟を結ぶ
渡り廊下があり、大きな
網代窓が印象的である。渡り廊下にはトイレや
浴室の入り口がある。トイレは洋式も利用できるが、なにぶん非常に狭くて中で向きを変えるのにも苦労する。ぜひ北側の中庭にある
朝顔を復活させてほしいものだ。浴室の裏には自由に使える青天井の
物干し場があり、いかにも遍路宿らしい雰囲気である。
旅館の一番奥にある客室である。ガラス戸の桟が美しい。ただ、中棟の座敷でもそうなのだが、桟の細工には欠損している部分が多々ある。できれば一々丁寧に補修してもらいところだ。これらの建具にはそれだけの価値がある。
この旅館のよい所のひとつが全体としてアルミサッシを使わずに木枠の窓を残しているところだ。
縁側の網戸も木枠ですきまだらけであり、一見して防蚊効果は低そうだが、そこがまたいいのである。しかし、この南棟の南側だけは
サッシ窓となっていて、窓の外はすぐ民家に接している。もとはさらに南側に旅館敷地が続いていたものを切り詰めたのではないだろうか。
なお、防虫に関しては電気蚊取器と殺虫スプレーが各部屋に常備されているので、特に虫に神経質ではない風流人であれば問題なかろう。エアコンも各部屋に装備されている。