厳妹屋(いつもや) 広島県廿日市市宮島町 2015年3月訪問

 宮島桟橋から厳島神社方面に向かう道筋は3本ある。海岸沿いの道が一番近くて景色もよいのだが、観光客は一つ陸側の土産物屋が立ち並ぶ参道商店街に誘導されるようになっていて混雑する。厳妹屋のある町家通りは更に山側にあって人通りは少なく、しかも厳妹屋は町家通りの北端にあるので静かな環境である。このあたりを北之町と言うのだろう。
 厳妹屋の建物は華道や茶道のお師匠さんが住んでいた住宅であったらしく、宮島の伝統的な町家の建築様式がよく保存されている。2009年に宿屋として開業する際に改修されたが、快適でありつつも旧来の町家がそのまま感じられ、主屋ではほとんどその改修に気づかせない。その点で、最近の観光地に雨後の筍のごとく増殖する古民家の一棟貸しとは一線を画しているといえよう。
<厳妹屋> <楽天トラベル> <Google地図> <地理院地図>

一階の玄関
 夕刻の町家通りに面した入り口。ガラス戸の中側には土間(ミセ)と板の間(オウエ)があり、昼前から夕方までは工芸品などの小店が営業している。閉店後には入り口にカーテンが引かれて一棟貸の宿となる。閉店前でもチェックインが可能で、無人の一軒家に入っていくよりも、昼間は一階に人がいてくれた方がよいと感じられる。重要伝統的建造物群保存地区の中にあり、伝統的建造物に指定されている。

一階の板の間
 土間(ミセ)からあがった板の間(オウエ)で、時代がかった戸棚と神棚が印象的。神棚に貼られている宝珠を描いたお札のようなものは、宮島に特有の「幸紙」といわれるもので、町家通りにある文具店などで販売している。

一階の座敷
 一番奥のカーテンが通りに面した玄関で、手前に向かってミセ・オウエ・ザシキが配置される。流しや冷蔵庫のあるキッチンは叩きの通路に張り出して増設されたもので、もともとは通路との間には障子がたてられていたのであろう。現在では茶の間のような雰囲気であるが、反対側には床の間もあり、本格的な座敷であったことがわかる。中庭に面しており、渡り廊下の先の別棟にはきれいに改装された風呂洗面所トイレがある。キッチンやトイレにも幸紙が貼られている。

二階の座敷
 簾が通りに面した玄関の上の窓になる。廊下との間にある梅型の障子窓が印象的。床の間の明り取りの小窓でもそうであるように、もとの住人は複雑な形状の自然木の小枝(根っこ?)を障子の桟に組み込む趣味があったようだ。

二階の寝室
 二階の3部屋のうち、一番中庭側の部屋である。中庭側にはちょっとした縁側がついている。

二階からの町家通り
 玄関上の窓から北側をみたところ。ここが町家通りの北端となる。丁字路を左に行くと海岸に出る。これとは反対に町家通りを南方向へ500mほど行くと厳島神社に至る。向かいの2棟も伝統的建造物に指定されているようである。改装前の厳妹屋もこのような雰囲気であったかもしれない。

代表的な町家は、西町・東町ともに間口が狭く奥行きが深い敷地で、前面の通りに面して主屋を建て、その背後に中庭を挟んで台所・風呂・便所などの付属屋を建てて、主屋と付属屋を廊下でつなぐ配置が一般的である。 (中略)  町家の主屋は入り口から裏庭まで続く通り庭に沿って、表側からミセ・オウエ・ザシキと呼ばれる部屋を並べた1列3室型の平面形式を基本とする(西町では、2室構成が多く見られる。)。通りに面したミセは本来店舗や仕事場だったが、現在は予備室のように使われている。オウエは、建物の中央に位置する。正面に祀られた大きな神棚と、通り庭と一体となった吹き抜け空間により、オウエは全体として住居の中心となる象徴的な空間を造っている。神棚のある部屋は一般的には二階部分に部屋を持たないが、西町の一部には二階に部屋を設け、神棚上部に押入れなどを配置した例が見られる。ザシキはオウエの奥の中庭に面している部屋で、もともとは日常生活に使われていた。
廿日市市教育委員会廿日市市宮島町伝統的建造物群保存地区保存活用計画」(2021)より引用。

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