かいひん荘鎌倉 鎌倉市由比ガ浜 2020年8月訪問

 関東大震災(1923)で鎌倉は大きな被害を受けたが、その直後の大正13年(1924)に建築された旧村田一郎邸を、戦後に投資家の猪俣惣吉氏が購入し「海が近いし、とりあえず旅館でもやるか」(湘南スタイル, 2006年5月号)ということで昭和27年(1952)に「海濱荘」として開業したものである。戦後すぐに焼失した「鎌倉海濱ホテル」を意識したものだろう。「鎌倉海濱ホテル」があった鎌倉海浜公園や由比ガ浜海水浴場から徒歩3分ほどの静かな住宅地の中にある。旧村田邸の和館・洋館を中心とした敷地であるが、現在の宿泊客室の大半は旧村田邸の南東側に新築された2つの宿泊棟となる(航空写真)。旧村田邸に宿泊するためには洋館の「らんの間」または和館の「まつの間」を予約する必要がある。

<かいひん荘鎌倉> <国指定文化財> <鎌倉市景観重要建築物> <楽天トラベル> <Google地図> <地理院地図>

洋館
 木造モルタル塗りの洋館の1階はラウンジになっており、洋館の宿泊室は2階の「らんの間」だけである。写真手前2階の角張った出窓のある部屋と続きの部屋の2部屋が「らんの間」のリビングとなっている。その奥にある丸い出窓のある部分の部屋は、面積は小さいと思われるが出入口は大きく、大変に魅力的であるのだが閉鎖されていて使われていない。丸い出窓の部屋と「らんの間」の間のにドアを設けることは構造的には容易と思われ、丸い出窓の部屋が利用されていないのは少し残念である。写真手前の角張った出窓の右に見える2つの小さなの部分は浴室トイレになっている。この浴室・トイレにはその奥にある寝室から入るようになっている。寝室には窓がないが、リビングと一体感があり、窮屈ではない。夕食はリビングでいただくことができる。
 2階の「らんの間」には西日が当たり温室効果が高い。現在は空調があるから問題ないが、昔は夏季の使用には適さなかっただろうと思われる。

和館
 和館部分はかなり改築されていて、登録有形文化財に登録されているのは写真奥の洋館部分だけである。特に和館1階は、もともと2階と同じ建ち幅であったところが大幅に増築・拡張され、室内(大広間)も完全に改装されて旧来の面影は残っていないが、ここからの庭の眺め昔のままであろう。朝食はこの大広間でいただいた。
 一方、和館の2階は「まつの間」であり、やはり窓まわりはかなり改変を受けているものの、内部の和室は当時の状態をよくとどめているようである。
 旧村田邸の中で宿泊可能なのは洋館「らんの間」と和館「まつの間」の2部屋だけで、いずれも2階で隣り合っている。「らんの間」の寝室には「まつの間」での子供の声などがよく伝わるが、むしろホテルらしからぬ住宅旧来の風情を醸し出していて微笑ましい。そのときに「まつの間」に宿泊していた家族連れは長期の海水浴客であるらしく、翌日も朝から海岸へ出かけていた。

洋館2階の出窓から
 みごとな松の木はホテル開業当時の写真にもあり、おそらくは村田邸建築当初からのものであろう。写真左下は和館1階増築部分の屋根。芝生の庭の左には浴場のある建物があり、浴場の右脇には小さな休息所(庭に面したガラス戸部分)が設けられていてビール等の自動販売機がある。そのさらに右の1階が庭付き和室、2階が和洋室であろう。浴場の背後の2階建ては一般的な客室棟

玄関
 1枚目の洋館庭園側の写真の裏側増築部分にある玄関。玄関を入るとフロントロビーがあり、その奥に旧村田邸1階のラウンジが続いている
 三角屋根が洋館で、切妻や破風板の先にはモルタル装飾がある(庭園側では切妻の装飾は失われている)。この写真では玄関の屋根に隠れて見えないが、洋館2階にはがある。洋館1階の外観は全く失われているが、古い写真を見ると洋館に玄関が設けられていたことがわかる。また、玄関左の建物はホテルの事務所や調理場あるいは経営者住宅などであろうが、もともとは村田邸和館から連続する1階建ての建物があった部分と思われる。

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