亀石楼 京都府宇治市 宇治川河畔 2016年3月訪問

 応神天皇には古事記や日本書紀に記載があるだけでも10人を超える妃があった。彼が明日香村から滋賀方面へ出張した際に宇治川沿いの道端でぴちぴちした娘を見つけ、例によって早速ナンパしてしまう。そして宇治川の上流、平地が尽きる朝日山のふもとに離宮を作って彼女と皇子を住まわせた。記紀の年譜をそのまま遡れば西暦275年頃の話である。応神天皇はこの皇子(和紀郎子)を皇太子に指名したが、なぜか応神天皇の死後数年にわたり皇位継承が定まらず、結局、異母兄の仁徳天皇が即位した。和紀郎子は宇治天皇とも呼称されたと伝えられ、この朝日山のふもとがしばらくの間、都の様相を呈したのではないかとも想像される。なお現皇室の男系祖は仁徳天皇でも和紀郎子でもなく、彼らの異母弟のうちの一人である。
 時代はずっと下って、松下幸之助(1894-1989)にも十指にあまる妾があったが、そのうちの1人の妾宅として昭和10年(1935)頃に亀石楼を買取ったといわれている。 さらに少し時代を下って2008年頃に「CLANNAD~AFTER STORY~」というアニメ番組(制作:京都アニメーション)がテレビ放映され、劇中で父とその娘が投宿した旅館の画像描写があきらかに亀石楼だということで、ドラマのロケ地などと同じく、いわゆる「聖地」としてアニメファンの訪問が増えたと言う。父娘という設定であるらしいから応神天皇や松下幸之助の場合とは同列ではなかろうが、神代から現代に至るまで物語性のある場所と言えよう。

<亀石楼> <亀石楼PR動画> <楽天トラベル> <Google地図> <地理院地図>

亀石楼と宇治川
 亀石楼の建物は宇治川北東岸に沿って細長く連なっている(航空写真)。写真は下流から上流方面に向かって撮影したもので、ここで平野は尽きて急に峡谷となる。左側(亀石楼裏)が朝日山、対岸は平等院裏の槇ノ尾山である。対岸の平等院方面とは近くの朝霧橋・橘橋あるいは喜撰橋を渡って容易に行き来ができる。平等院の山号は朝日山である。このことは、平等院創建(西暦1053年)の当時からすでに朝日山が応神天皇・和紀郎子・仁徳天皇の伝承による名勝となっていたことの査証であろう。
 最も左端の下流側の建物は浴室のある部分で、その隣の2階建てが宿泊棟になる。そのさらに先に玄関食堂などがある建物が連なるが、この写真ではあまりよく見えない。
 なお、「亀石」はこの写真の撮影地点からほんの少しばかり手前の川の中にある。小さな説明看板がフェンスに取り付けてあるが、その場所はかなりわかりにくい。まさに海亀のような形状であるが、岩質は脆そうで、これが数百年あるいは千年以上にもわたって浸食もされず埋没もせずに、ちょうどよい水準に存在し続けているとは考えにくい。

上流側の建物
 玄関右側にある食堂のベランダから上流方を望む。亀石楼HPによれば、旅館として明治25年(1892)に建築されたとあるが、その当時の建物が残っているとすればこの辺であろう。現在は主に宴席として使われているようである。
 対岸が槇ノ尾山である。この時は河川敷の改修が行われており、平等院側の対岸には黒い土嚢が無粋に並べられていた。
 ちなみに亀石楼のさらに少し上流には新洛巽亭という旅館の建物があって、なかなかよさそうな雰囲気なのだが現在は営業していない。

宿泊棟
 上記のベランダから、今度は下流方を望む。宿泊棟の1階には手前から「花」「雪」「月」の3室があり、2階には「朝日」「喜撰」の2室がある。2階の客室はともに10畳で、1階の各室と比べて広々しているが、部屋の仕切りは襖となっているので、大人数でなければ予約は難しそうである。また、風呂・トイレはいずれも共用である。浴室へ行く途中の廊下にはビールなどの自動販売機がある。
 この建物の背後にも宿泊棟がある。斜面の高い位置にあるので「3階」と称されているが、事実上は別の建物であり、奥まっているので宇治川の展望は無いものと思われる。アニメファンに人気の「天ケ瀬」の部屋はこの3階にある。

客室「花」
 6畳ほどの小じんまりとした部屋である。宿泊棟の1階であるが、川の水面や手前の路面よりもかなり高い位置にあるため、部屋からの宇治川の展望は良好である。

しなだゆふ佐佐那美道を  すくすくと吾が行ませばや  木幡の道に遇はしし孃子  後方は小楯ろかも  齒並は椎菱なす
(中略)かくて御合まして、生みませる御子、宇遲の和紀郎子なり。
古事記 中つ卷應神天皇」より引用。木幡は亀石楼から5kmほど下流にある地名で、JRの駅名にもなっている。後方は小楯ろかも、とか、齒並は椎菱なす、とは、どのようなものであろうか。なんとなく、物怖じしない快活で積極的な少女を連想させる。もしかしたら逆ナンパかもしれない。宇遲とは、すなわち宇治である。
のうのう山が見えそろ、朝日山に霞たなびくけしきは、たとえするがの富士もものかは
筝唄「さらし」より。琴 片雲井、三絃 本調子。元禄-宝暦(1716-1764)ころ深草検校の作曲になる三味線もの。対岸のきらびやかな平等院には目もくれず、槇ノ島や朝日山の景色を絶賛して歌いあげる。
日本の佳宿