亀石楼の建物は宇治川北東岸に沿って細長く連なっている(
航空写真)。写真は下流から上流方面に向かって撮影したもので、ここで平野は尽きて急に峡谷となる。左側(亀石楼裏)が朝日山、対岸は
平等院裏の槇ノ尾山である。対岸の平等院方面とは近くの
朝霧橋・橘橋あるいは
喜撰橋を渡って容易に行き来ができる。平等院の山号は朝日山である。このことは、平等院創建(西暦1053年)の当時からすでに朝日山が応神天皇・和紀郎子・仁徳天皇の伝承による名勝となっていたことの査証であろう。
最も左端の下流側の建物は
浴室のある部分で、その隣の2階建てが宿泊棟になる。そのさらに先に
玄関や
食堂などがある建物が連なるが、この写真ではあまりよく見えない。
なお、「
亀石」はこの写真の撮影地点からほんの少しばかり手前の川の中にある。小さな
説明看板がフェンスに取り付けてあるが、その場所はかなりわかりにくい。まさに海亀のような形状であるが、岩質は脆そうで、これが数百年あるいは千年以上にもわたって浸食もされず埋没もせずに、ちょうどよい水準に存在し続けているとは考えにくい。
玄関の
右側にある食堂のベランダから上流方を望む。亀石楼HPによれば、旅館として明治25年(1892)に建築されたとあるが、その当時の建物が残っているとすればこの辺であろう。現在は主に宴席として使われているようである。
対岸が槇ノ尾山である。この時は河川敷の改修が行われており、平等院側の対岸には黒い土嚢が無粋に並べられていた。
ちなみに亀石楼のさらに少し上流には新洛巽亭という旅館の建物があって、なかなかよさそうな雰囲気なのだが現在は営業していない。
上記のベランダから、今度は
下流方を望む。宿泊棟の1階には手前から「花」「雪」「月」の3室があり、2階には「
朝日」「
喜撰」の2室がある。2階の客室はともに10畳で、1階の各室と比べて広々しているが、部屋の仕切りは襖となっているので、大人数でなければ予約は難しそうである。また、風呂・トイレはいずれも共用である。浴室へ行く途中の廊下にはビールなどの
自動販売機がある。
この建物の背後にも宿泊棟がある。斜面の高い位置にあるので「3階」と称されているが、事実上は別の建物であり、奥まっているので宇治川の展望は無いものと思われる。アニメファンに人気の「
天ケ瀬」の部屋はこの3階にある。
6畳ほどの小じんまりとした部屋である。宿泊棟の1階であるが、川の水面や手前の路面よりもかなり高い位置にあるため、
部屋からの宇治川の展望は良好である。