観鹿荘(かんかそう) 奈良県・東大寺南大門々前 2016年3月・2023年5月訪問

 東大寺南大門からわずか百数十メートル、東大寺塔頭であった惣持院の客殿を移築したものである。惣持院はかつて東大寺の転害門に隣接してあった塔頭で、その敷地に奈良市立鼓阪小学校の校舎を建設する際に寺院建物が払い下げられたものを玉井久次郎氏が買い取り、大正11年(1922)に現在地に移して吸霞洞と名づけた。玉井氏は大閑堂と号する全国的にも有力な古美術商で、奈良の寺院から流出した仏像を手広く扱った。全国の美術館等の収蔵品にも玉井大閑堂の所蔵を経ているものは多い。たとえば現在は比叡山延暦寺国宝殿に展示されている薬師如来坐像(重要文化財)は、昭和初期には吸霞洞の一室(現観鹿荘の天平の間)に安置されていたと伝わる。旅館としての営業は昭和29年(1953)から。電話で問い合わせると、一週間前の時点で空きがあれば1名での宿泊も可能であった。
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東大寺参道から南大門を望む
 東大寺の表参道である。これは早朝に撮影したもので、参道沿いの土産物屋への運送車両が多く人影はまばらであるが、日中は奈良市内でも最も観光客で混雑する場所のひとつだろう。左に見える観鹿荘の看板は入り口の両隣の土産物店に設置されているもので、おそらくこれらの商店と観鹿荘とは直接的な関係はない。観鹿荘の入り口は店舗に挟まれて大変に小さく、個人住宅の入り口のようである。しかも参道からは引っ込んでいて手前に大きな松の木があってかなりわかりにくく、さらに入り口の門扉は鹿よけのために普段から閉められているので、初めての人はこの門扉を開けて入っていくのにちょっと躊躇するであろう。

観鹿荘の玄関前
 参道の入り口を入って突き当りの右側に中門がある。この中門が実質的には観鹿荘の入り口であろう。中門の内側にはよく手入れされた前庭がひろがり、正面に観鹿荘の玄関がある。この玄関部分も惣持院からの移築であるのかはよくわからないが、多分そうなのであろう。
 玄関の左に見える門は老門と名付けられ、離れ「小鹿の間」正面の庭園入り口となっている。その説明板によれば「今を去ること七百年前(鎌倉時代)南都七大寺の一つ法隆寺の某院の西門として建立」されたとある。玉井久次郎氏は古い建造物の買取・移築にも熱心であったことがうかがわれる。中門も同様にどこかからの移築なのかもしれない。

観鹿荘の北面
 観鹿荘の表玄関は南向きであるが、全体の構成は南大門側から眺めたほうがわかりやすい。手前の小川は春日山に源流を発して東大寺参道を横切って流れる吉城川。中央部分の土塀の向こうの大屋根が惣持院の客殿を移築したもので、「天平」「飛鳥」「醍醐」「鎌倉」の四室が田の字に配されている。下で紹介する客室「鎌倉」はこの写真大屋根の手前左角である。
 大屋根の左の建物が一階に「春日野」、二階に「三笠山」の客室がある新館である。また大屋根の右側の新館には一階に3つの浴室、二階に「平城山」「佐保山」の2つの客室がある。
 左に見える小門は観鹿荘の裏門ともいえるもので、これが開放されることはまずないと思うが、老門と同じく玉井氏が収集した古建築なのかもしれない。この門の奥正面には古い仏堂があり、これも玉井氏による移築と思われるが詳細はわからない。

客室「鎌倉」
 惣持院の客殿では一番小さな部屋であるが、北の庭園を眺めるには最も適した位置にある。「飛鳥」「醍醐」の各部屋とは壁で仕切られているが、もちろん元来は襖であっただろう。
 夕食朝食はすぐ隣の新館「春日野」でいただいた。この部屋も北の庭園の眺めが良好である。

客室「小鹿」
 観鹿荘で唯一南庭園に面した客室で、他からは独立した離れである。食事は「天平」でいただいた。

昭和初年には、興善寺の薬師如来像は奈良の古美術商「玉井大閑堂」の所蔵となっていたようです。
 「大和の栞」 水木要太郎著 昭和2年(1927) 玉井久次郎刊
という奈良の案内書があるのですが、この本に、玉井氏所蔵の興善寺・薬師像の写真が掲載されているのです。
玉井大閑堂の主人・玉井久次郎の別邸「吸霞洞内陳列ノ一部」という掲載写真の中に、薬師像に姿が写っています。
観仏日々帖」より引用。 興善寺の薬師如来像:現在は比叡山延暦寺国宝殿に展示されている薬師如来坐像(重要文化財)だと推定されている。玉井氏から大阪の某氏の手にわたり、戦後に延暦寺に寄進されたと伝えられる。興善寺については下記。薬師像に〔ママ〕
奈良懸磯城郡城島村大字忍阪及び赤尾附近に極めて古びたる無名の堂宇あり之が持ち主もなく緯持者もなく何百年來風雨に曝されて軒傾き柱朽ち今にも壊倒せん有様を呈せるが(中略)赤尾の堂宇にも木彫りの持国天、増長天の二軆及び釋迦如來の立像等數點ありて何れも國寳とするに足る珍品なるが(中略)保存費の出所なきを以て可惜稀代の珍品も物置小屋同様の古堂内に轉り居れり
大正5年(1916)大阪毎日新聞記事より。東京日日新聞や奈良新聞もほぼ同様の記事を掲載している。忍阪及び赤尾:奈良県桜井市内の隣接する地所。赤尾の堂宇:興善寺を指すものと思われる。持国天、増長天の二軆:現在はサンフランシスコアジア美術館の所蔵。これらも玉井氏の所蔵を経ていると考えられている。釋迦如來の立像:興善寺に残されている古写真から、現延暦寺薬師如来坐像と推定されている。しかし古写真や延暦寺像は薬師如来の座像であり、この新聞記事記載の釈迦如来立像と同一であるのかは疑問が残る。
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