三木屋 兵庫県豊岡市・城崎温泉 2017年5月訪問

 全国的にも有名な城崎温泉を代表する旅館と言えよう。高級旅館とも言うことができよう。だが、それはさておき、この旅館の22号客室を紹介したい。広々とした室内は勿論のこと、その出入口が素晴らしいのである。大きな旅館の一客室の入り口を是非とも紹介したくなる、そのようなしつらえは他に例を見ないであろう。

<三木屋> <楽天トラベル> <国指定文化財等データベース 東館西館> <Wikipedia> <Google地図> <地理院地図>

玄関
 旅館の玄関は東館(本館)の北側にある。この写真では見えにくいが東館は3階建てである。1階にはフロント・ロビー・売店があり、2階は客室、3階は宴会場となっている。写真の右端には西館がみえる。東館と西館は1927年(昭和2年)の建築で、登録有形文化財に指定されている。そのほか客室のある南館と別館、食事処や厨房のある建物がある(航空写真)。
 全部で16の客室のうち、玄関のある北に面した客室は2室だけで、玄関屋根の右の2階が11号室(14畳+6畳の細長い部屋)、さらに右の西館2階に見える明かりが29号室である。

22号室の入り口
 入り口に立てられた4枚組の吹寄せ舞良戸は内外ともに桟の入った重厚なものである。戸の外側(写真手前)に6畳分、内側に4畳分(そのうち2畳分はケヤキの一枚板)、つまり入り口部分だけで計10畳のスペースを有する。旅館内の一客室の入り口としては破格と言えるだろう。
 この入り口は廊下を挟んで北側の大浴場「つつじの湯」に相対している。大浴場は新しい建て増しだから、もともとはこの入り口は戸外に面していて、西館全体の表玄関の位置付けではなかったのかとも想像される。

22号室(21、22、23号室)
 22号室は西館1階にあり、上記の入り口も含めれば4つのスペースが田の字に配される。この4間、計40畳分の全体で22号室であるが、入り口を除いた3部屋にはもともと21、22、23号室と1部屋ずつに番号が付けられていたのだろう。座敷は南側の庭に面した10畳の2室で、写真の奥が21号室、手前が22号室であると考えられる。どちらかというと21号室はけれん味のない、22号室は凝った作りの印象がある。写真左端、入り口の横が下記の寝室(23号室)である。

22号室の寝室(23号室)
 この部屋は西館の北西角にあり、かつては21、22号室と同様の解放的な座敷であったところが、新館やそこへの通路の増築によって採光を失った空間であろうかと想像される。板敷のモダンな寝室に改装され、トイレや洗面所も備えて近代的で快適な宿泊空間となっている。合計40畳分もの空間を有し一部をベッドルームとする大胆な改装をしつつも客室には浴室を設けないという、その温泉旅館の正統な姿勢にもおおいに賛同したい。

22号室(21号室)から見る庭園
 奥行きは広くはないが、瓦を載せた板塀の向こうには大谿川が流れ、その背後には緑豊かな山が広がる。夜には庭園がライトアップされる。

自分の部屋は二階で、隣のない、割に静かな座敷だつた。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になつてゐる。其羽目の中に蜂の巣があるらしい。虎斑の大きな肥つた蜂が天気さへよければ、朝から暮近くまで毎日忙しさうに働いてゐた。蜂は羽目のあわいから摩抜けて出ると、一ト先ず玄関の屋根に下りた。其処で羽根や触角を前足や後足で叮嚀に調えると、少し歩きまはる奴もあるが、直ぐ細長い羽根を両方へシツカリと張ってぶーんと飛び立つ。飛立つと急に早くなつて飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度咲きかけで蜂はそれに群ってゐた。自分は退屈すると、よく欄干から蜂の出入りを眺めてゐた。
志賀直哉城の崎にて」より引用。志賀直哉が1913年(大正2年)の秋に療養のために城崎温泉を訪れ三木屋に滞在した時の体験に基づく随筆(小説?)である。当時の三木屋は現在の敷地の北側の道を挟んで反対側にあった。したがって「自分の部屋」や「玄関の屋根」は日当たりのよい南向きであっただろう。現在の北向きの玄関屋根を想像してしまうと、だいぶ印象が違ってしまう。また、道路北側の敷地からして当時の旅館はかなり小さかったと思われ、この点でも現在のような大きな有名旅館とはかなりイメージが異なるだろう。志賀直哉は北但馬地震後に再建された現在の三木屋にもたびたび訪れ、西館2階(22号室の上)にある26号室を好んで宿泊したという。

(後記 2023) ネット上の情報だけであるが、22室以外の入り口を含む21室・23室は2022年に原型をとどめない様な大きな改修を受けた。
 まず23室は寝室を廃止して、トイレ・洗面所に加えてキッチン・浴室・サウナが設けられた。外国人の急増に対応した仕様であろうが、外湯を重視する城崎の旅館において既に内湯があることを考えると、あえて部屋付属の浴室を設けるとすれば、いっそ西洋式バスタブに本格的な温泉の組み合わせとするべきであったと思うがどうであろう。それであれば日本人の関心も引くこともできるだろう。庭の露天でもない閉鎖的な浴室に日本人が興味を持つとは考えにくい。
 23室の代わりに21室はベッドルームになってしまった。あの落ち着いた日本間の21室が失われたことは残念である。確かに、かつての21室・22室は同じような座敷が連続していて、少人数・短期の宿泊では使い勝手に困るようなことがあったかもしれない。しかし、豪勢な入り口からまず正面の21室に進み、手荷物などをとりあえずそこへ置いてから右側の22室に落ち着くという贅沢な導線は失われた。現在では22室の床の間前に座ってみれば目の前にはベッドルームがあるわけで、かつての2間つづきの広々して余裕のある座敷空間はない。また、21室庭側の広縁はほとんど旧態が保たれているようだが、22室の広縁との間が壁で遮断されてしまった。なぜこのような閉塞的・分断的なことをするのか、発注者や設計者の意図は全く理解できない。
 入り口に関しては、外側の6畳分の板敷は保全されたものの、4枚組の重厚な舞良戸は撤去されて2枚の安っぽいガラスの引き戸になり、内側は3畳ほどの行き止まりかつ閉塞的でありきたりな踏み込みになってしまった。まことにせせこましい空間であり、外側の広い板敷と全く釣り合わない。もともとの4枚舞良戸の内側の床は見事な欅の一枚板だったが、この床の端には不気味な汚れがあった。この汚れを除去したい思いが大きかったのではと想像するが、どうであろうか。たとえ4枚舞良戸の両端2枚を殺したとしても、4枚をそのままたてておけば、少なくとも外見上の重厚感は保全できたと思う。
 加えてこの部屋の宿泊料金も3倍以上となり、この現状では「日本の佳宿」の条件外である。とは言っても、これはネット上の情報だけに基づく感想であり、時間的・経済的に許されれば再び三木屋22号室を訪れてみたい。
日本の佳宿