王ヶ頭ホテル 長野県松本市・美ヶ原高原 2022年9月訪問

 山歩きに興味がある人でも、美ヶ原高原と聞いてその位置を即座に思い浮かべられる人は少ないのではないか。長野県上田市と松本市の境、JRの路線でいえば北陸新幹線と中央本線の間に位置するのだが、そのエリアには大きな町もなく、鉄道や高速道路もなく、かといって秘境と言うような大げさなものでもなく、際立った山岳や河川もないので、その地域の地理を把握するのは難しい。王ヶ頭ホテルは美ヶ原高原の最高地点 王ヶ頭山頂(2034m)に立地する。美ヶ原は山岳名ではないが、深田久弥が選定した日本百名山のひとつである。百名山のほぼ山頂に位置する宿泊施設は富士山本宮淺間大社奥宮付近の山小屋以外にはなく、特筆すべきものである。しかもJR松本駅から送迎バスによって通年でアクセスでき、リゾートホテルと呼ぶにふさわしいサービスを提供している。

<王ヶ頭ホテル> <Google地図> <地理院地図> <送信塔見て歩き>

美ヶ原(東側)からの遠望
 王ヶ頭は放牧地の広がる美ヶ原のほぼ西端に位置し、東端の山本小屋ふる里館まで約3kmの砂利道が通じている。この道は王ヶ頭直下を除いてはほとんど平坦で、視界が悪くても迷う心配がない。途中には放牧牛のための塩くれ場美しの塔といったスポットもあり、手軽に高原を散策できる。王ヶ頭ホテルと山本小屋ふる里館の間には送迎バスの便もあり、復路はそれを利用することもできる。
 王ヶ頭ホテル東館度重なる増改築を受けていて外観の変化も大きいが、基本となる構造は昭和45年~48年(1970~1973)に建設されたものである。王ヶ頭には、佐久平・松本平・諏訪盆地、もしかしたら善光寺平も含まれるかもしれないようなの見通しのよさゆえに、テレビ局・ラジオ局・各種行政通信などの送受信鉄塔が林立しており、さながら信州のスカイツリーといった様相を呈している。美ヶ原の自然景観を損ねているとして非難の声も大きいが、これらの施設のための自動車道路や商用電源が本格的なホテルの存在を可能としたことも事実であろう。

南館客室からの展望
 南館は南北アルプス方面の展望に優れている。この日はが多く視界は今一つであったが、ときおり松本平も望むことができた。客室の居間寝室浴室・洗面所も充実しておいる。館内には気の利いたラウンジバーカウンターなどもある。これらの設備そのものは都会にあっては普通のシティホテルなみと言えないこともないが、この山岳立地や眺望を考えれば非常に価値のある宿であると感じられる。

 全く、桁が外れて広い。美ヶ原の範囲はどこまでを指すのか知らないが、南の茶臼山から北の武石峰まで、広濶な山上の草原が、果てしもないように続いている。さあ、どこでも勝手にお歩きなさい、といった風に続いている。その広さに、更に眺めを付け加えよう。以前松本平の人々は、美ヶ原を東山、北アルプスを西山と呼んだそうだが、その西山の最重要部分、槍、穂高の連嶺を、東山からまざまざと眺めることが出来る。その豪快な山容を鑑賞するのに、最も適した距離である。その眺めに呆然としてから、眼を他へ移すと、別の多くの山々が我も我もと名乗りをあげてくるのに接するだろう。昔は美ヶ原という名はなかった。二百七十年前の元禄時代に放牧場として利用したという記録があり、その後も農閑期の牛馬の休養場になったことはあったが、人間の楽しむ美しい原として登場したのは、昭和になってからだという。山麓の住人の山本俊一氏がこの高原を愛して、道を開き、粗末な笹小屋をたてた。それが今の山本小屋の基である。
深田久弥日本百名山」(1964)のなかの「61 美ヶ原(二〇三四米)」より。改行略。 山本俊一:明治14年(1881)~昭和27年(1952)。美ヶ原から北東に20kmほどの丸子町(現長野県上田市丸子)の出身で、製糸場勤務や露天商を経て、昭和5年(1930)笹小屋を建設、これを拡張して昭和8年(1933)に山本小屋を開設。 ちなみに、王ヶ頭ホテルの前身である王ヶ頭ヒュッテを昭和28年(1951)に設立した小澤多賀男氏は王ヶ頭直下(直線水平距離では2kmほど)の松本市入山辺石切場の出身である。
 美ヶ原高原の頂上は、標高二〇三四メートルの王ヶ頭だ。かつては牧野組合が方向板を立てたものである。それがいま、”アンテナ銀座”として頂上を占めている。テレビ受信、無線にと欠かせないものではあるが、この乱立はどうだ。さらに後から来た資本が、有利な条件の地を占めた。
山本峻秀美ヶ原賛歌」(実業之日本社, 1980)より。山本峻秀(やまもとたかし)氏は昭和20年(1945)から山本小屋2代目経営者。山本峻秀氏は、昭和37年(1963)に山本小屋から500mほどの所に美ヶ原高原ホテルを開設。さらに、茅野市街と美ヶ原高原をつなぐ観光山岳道路ビーナスラインの建設を契機として、山本小屋を拡張して昭和55年(1980)北側に隣接して山本小屋レストハウスを開設した。 美ヶ原高原ホテルは美ヶ原高原ホテル山本小屋として現在も営業しているが老朽化が顕著である。山本小屋レストハウスは山本小屋ふる里館として、1階は食堂や土産物店、2階はホテルとして現在も営業しているが、やはり老朽化は否めない。 後から来た資本 とは王ヶ頭ホテルを指すものと思われる。現在の山本小屋ふる里館の経営者は王ヶ頭ホテル経営者の弟である。山本小屋の名前を残すことを条件に山本氏から小澤氏へ経営が譲渡されたのではないかと推察される。
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