住之江旅館 瀬戸内海・生口島・瀬戸田  2019年9月訪問

 山陽本線三原駅にほど近い港から渡船に乗っておよそ40分で生口島の瀬戸田につく。渡船場の正面には「旅館つつ井」があるが、そこを右に折れて海沿いすぐに住之江旅館を見ることができる。まず目に入るのは瀬戸田で製塩業を営んだ浜旦那 堀内某が大正初期に造営したという風格のある二階建ての本館で、その南側の海沿いに並んで新館が増築されている。また本館東側にも増築があり、これらの建物は本館を北西の角としてL字型の配置となっている(航空写真)。旅館の入り口玄関は少し引っ込んだ東側増築部分になる。玄関からの階段を上がってすぐの本館二階の座敷は、西側の瀬戸田水道と北側の渡船場に面した角であるから眺望は期待通りである。
 本館の二階は田の字の4室で、海側に8畳が2部屋、廊下側に6畳と4畳半の計26畳半、海側の二面には回廊のように縁側がつく。室名は「名月」と「はぎ」の二つに分かれているが実質は4室で一体である。この部屋は宿泊室としてはあまり使用していないようで、ネットの予約サイトにも掲載されておらず電話で直接予約しなければならないが、新館の8畳室と同じ値段で宿泊できる。
 洗面所や浴室は部屋には付属しない。トイレは廊下へ出てすぐの南新館との接続部にあり、洋式トイレとは別に朝顔も用意されている。共用トイレとはいっても新館の宿泊室ではだいたい各部屋のものを使うからほとんど専用に近く、夜間の使用にも全く不自由しない。一階に降りて中庭の渡り廊下の先にある浴場は特筆するようなものではないが気持ちよく使用できる。

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住之江旅館遠景
 中央が本館。その右につながる白く大きな建物が一般客室のある南新館。また、本館のすぐ左の白い壁部分が旅館の玄関で、そこからさらに左へ東新館の大広間の屋根が続く。旅館の敷地は増屋(片山家)、後には三原屋(堀内家)の「住之江別邸」であった。写真では見えないが旅館の東側(陸側)に隣接して堀内邸(本宅)があり、しおまち商店街に面して虫籠窓のある豪壮な明治期の母屋などが現存している。この堀内邸は現在は尾道市が所有しているが、2年ほど先にはホテルとして開業予定だという。住之江旅館にとっては手ごわい相手となろうが、瀬戸田水道の展望は強い味方である。
 本館の手前には住吉神社の小さな社殿、そのやや左に高さ4mの巨大な石灯篭(常夜灯)が見える。左端に見えるのは渡船場浮桟橋の係留杭。その背後には堀内家の塩蔵だったという歴史民俗資料館。

海側の2部屋
 奥の角部屋が北側の「はぎ」、手前が南側の「名月」の座敷。豪商の館とはいってもけれん味のない落ち着いた居間である。北西には瀬戸田の船着き場、南西方面には大三島をのぞみ、ことに夕暮れ時の凪には趣深い情景を満喫できる。
 「はぎ」には大広間用のかなり頑丈で重たいテーブルと椅子があった。夕食と朝食はこのテーブルでいただく。「名月」には座卓があり、夕食後には座卓をかたづけてここに布団を敷く。
 住之江旅館の本館には連続で二泊して大変に満足したが、ひとつ問題点があった。海に面した縁側には木枠のガラス引き戸が立ててあり、さらに以前雨戸だったところにはアルミサッシがつけられて二重窓になっているが、その鴨居が大きく下がっていて窓を開けることができない。腕のいい大工に相談して、なんとか改善してもらいたいものだ。

本館二階全4部屋
 手前の2部屋が北側の「はぎ」、奥の2部屋が南側の「名月」。この写真では見えないが「名月」の床の間の右手には美しい透かし細工をもつ書院がある。
 左に見えるガラス障子が廊下との境界となる。廊下はかつては広縁であったろうから、障子を開け放てば広々と美しい中庭も見通せて、さらに解放的な座敷であったのだろう。
 ちなみに、この下の本館一階は二階とは異なり中央を南北に廊下がとおり、両脇東西に「松」「柿」の座敷が配される構造になっている。一階の座敷はおもに新館宿泊者の食事処として使われているようである。

本館二階東側の廊下
 右側のガラス障子は手前が「はぎ」、奥が「名月」の入り口となる。部屋と廊下の間はガラス障子だけだが、内外から施錠できるようになっている。ガラス障子の先の少し突出した部分には本館一階中央の廊下に下る階段がある。さらに奥は南新館への接続部分で、その部分の左側にはお手洗いの扉が並んでいるのが見える。この並びには洗面所もある。写真ではやや距離があるように見えるが、実際には「名月」を出て廊下のすぐ斜め向かいという感覚である。
 廊下左側の広い窓はよく手入れされた中庭に面している。廊下はかなり幅を広げるように増改築されていると思われ、本館の風情は失われている。もとは海側と同様の狭い縁側が部屋を取り囲んでいたのであろう。左手前には東新館への廊下角がわずかに写り込んでいる。東新館接続部のスペースにはお茶やビールの自動販売機があって夜間の利用にも便利である。

「はぎ」から見る渡船場
 瀬戸田水道の潮流は驚くほどに速く、桟橋の係留杭に白波を立てている。潮に逆らって上る船は喘ぎながらやっと進み、潮にのって下るものは矢のように通り過ぎてゆく。
 桟橋には一日中頻繁に渡船が発着し、旅館からながめていると乗降客も意外に多い。平日朝はちょっとした通勤ラッシュで、三原や尾道から瀬戸田に通勤する人もかなりの数である。
 背後は生口島(いくちしま)と対岸の高根島(こうねしま)をむすぶ高根大橋。右手の常夜灯(住吉神社の石灯籠)には「文化拾壹」(1814年)の年号が刻まれている。常夜灯を住之江旅館の本館から見るとすぐ後ろの電柱とちょうど重なってしまう。電柱から電線が引いてあり、常夜灯のはずだが暗くなっても点灯していなかった

高根大橋からの眺望
 桟橋の背後に住之江旅館が見える。左端の4階建ての建物は旅館つつ井。新しいビルだが旅館としての歴史は住之江旅館よりも長い。
 徒歩で高根大橋へあがるには、平山郁夫「私の実家のある通り」のスケッチポイントがある清正公神社の横の排水溝づたいに登ると近道である。
 写真からは左(東)に外れるが、潮音山向上寺国宝三重塔、雑多な建物群がある耕三寺平山郁夫美術館平山郁夫生家などは住之江旅館から十分に徒歩圏内。向上寺へ上る途中の古民家が立て込んだ急坂の路地には瀬戸内特有の趣がある。

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