安田屋旅館 静岡県沼津市内浦三津 2025年3月訪問

 伊豆半島は付け根部分の駿河湾が大きく東へくびれた形をしている。このくびれ部分が内浦湾であるが、その内浦の最南部の三津(みと)の浜に面して安田屋旅館はある。三津へは沼津駅あるいは伊豆長岡駅から路線バスでアクセスできる。どちらの駅からも乗車時間は30分ほど。沼津からの途中には沼津御用邸、伊豆長岡からの途中には伊豆パノラマパークといった観光スポットもある。旅館から北へ150mほどの県道沿いにはコンビニがある。この旅館の売りは何と言っても太宰治執筆の宿であることだが、近年ではアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」主人公である高海千歌およびその飼い犬しいたけの実家として宿泊者が急増したという。私共が宿泊した日にも、アニメファンとおぼしき若い男性の2~3人連れが数組いた。ただし、館内のアニメ関係のディスプレイは玄関付近に限られていて、アイドル系アニメに反感のある者にとってもそれほど目障りではない。

<安田屋旅館> <Wikipedia> <国指定文化財 松棟月棟> <Google地図> <地理院地図>

三津浜からの富士山
 この日は大気の透明度があまりよくなく、旅館室内からの写真はうまく撮れなかったのだが、旅館海側の客室からもおおむねこれと同様の景観が得られる。富士山の左にある三角は内浦湾に浮かぶ淡島。手前は三津浜遊覧船 第二伊豆丸(千鳥観光汽船, 13トン)。約30分で淡島を周回するクルーズで、日中に1時間ごとに運航している。安田屋旅館のチェックアウトは10:00なので、第1便の乗船(10:30)に好都合。
 富士山の手前にある目障りな高層マンションは1990年築のセンシブル淡島。もちろん建設前に公示が行われたのであろうが、三津浜からの景観にこれほどの支障があるとは気づかれず、建設後にあわてたが後の祭りだったと想像される。安田屋旅館のパンフレットには「尾崎咢堂先生は、当館に宿泊になったおり、青い海原にぽっかりと浮かぶ淡島とその対岸の間に麗峰富士の山を眺め、ここを『天下一の絶景』と褒められ、当館に『対岳楼』の名をつけてくださいました」とあるが、センシブル淡島を見たら咢堂は愕然として顎もはずれてしまうのではなかろうか。

三津浜沖から望む安田屋旅館
 2階建て3つの入母屋のうち、左2つが大正7年(1918)建造の「松棟」、右1つが昭和6年(1931)建造の「月棟」。ともに登録有形文化財に指定されている。玄関やフロントは松棟のさらに左にある。安田屋旅館では基本的な室料はどの部屋でもフラットであるが、海側客室を指定するには1人\2,200、特定の部屋を指定するには1人\3,300が請求される。この指定料はかなり高額にも感じられるが、希望の部屋を高自由度に選択できる(旅館にとっては効率的に予約を受けられる)という意味では合理的なものともいえよう。クチコミでは山側の狭小な部屋を割り当てられた客の恨み節が多く見られるので、よほどの閑散期でなければ電話での部屋指定をお勧めしたい。webでは部屋の情報が少ないので、御参考までに海側客室の室名を私が把握している範囲で以下に記載する。不正確や間違えはくれぐれも御容赦。
 一番左の入母屋の2階角が「月見草」(10畳)。その左奥が「竜胆」(8畳)で、海の展望は若干悪かろうが露天風呂のあるテラスがついている。月見草と竜胆の階下はそれぞれ「木犀」「子手毬」。真ん中の入母屋の2階が「牡丹」(10+6畳バス付)、1階が「山吹」(バス付?)。一番右の入母屋(月棟)の2階左角が「藤」(10+6畳)、右角は「葵」(12+6畳)。藤の階下は露天風呂付で室名は不詳、葵の階下は露天風呂付き特別室。

客室「月見草」からの北西方向の展望
 客室「月見草」は太宰治が小説「斜陽」執筆した部屋と伝えられる。玄関横の松棟2階にあり、安田屋旅館の顔と言える10畳間である。隣室「牡丹」へとつづく廊下をつぶして設け洗面所トイレがついている。室名は、もちろん太宰治の代表作「富嶽百景」の決めぜりふ「富士には、月見草がよく似合ふ」から取られたものであろう。太宰治が逗留した当時の室名は「松の弐」。
 三津浜に打つ波の音がざぶざぶとよく聞こえる。海底勾配が大きいためか、波の周期は2~3秒程度と短くテンポがよい。決して耳障りではなく、夜には心地よい眠りを誘ってくれる波音である。

客室「月見草」からの南西方向の展望
 隣の二階は客室「牡丹」。この部屋は2間つづきで広さがあり、眺望もよさそうなので、太宰にこだわらないのであればおすすめである。旧来は、松棟2階の3室は共通の廊下や広縁でつながっていたであろうから、他に客がいないときには太宰も半月にわたる逗留中にこのあたりをうろちょろしていたにちがいない。
 三津浜との間には県道17号線が通っている。沼津から、戸田、土肥、松崎と、西伊豆を結ぶ幹線道路なので交通量はかなりあり、夜半までは交通音が少し気になる。 奥に見えるのはホテル松濤館

 太宰が訪れたのは22年2月上旬ごろ、と記録が残る。松棟の2階に約半月にわたって滞在し、『斜陽』の1、2章を執筆。書き捨てた紙を大量に出したため、従業員の間で話題になっていたというが、本人は名乗っておらず、従業員は太宰とは分からなかったのだという。滞在中の太宰は夜になると、伊豆長岡(現伊豆の国市)の方まで出向いて酒をたしなんでいたと伝えられている。太宰だったと判明したのは23年に自殺した後のこと。新聞記者が旅館を訪ね、「ここに泊まっていましたよね」と聞かれて分かったのだという。
石原颯にぎわう2つの〝聖地〟『斜陽』執筆、アニメのモデル 静岡県沼津市 安田屋旅館」産経新聞(2018/8/20) 22年:昭和22年(1947)。 記録が残る:宿帳があるのだろうか。 書き捨てた紙を大量に出した:もし保存していた大変なお宝である。太宰といえば、夫人によるよどみない口述筆記などで作品を一気に完成させるイメージがあり、大幅な修正を繰り返していたことは意外である。 本人は名乗っておらず:匿名や偽名で宿泊したとは考えづらいので、おそらく本名の津島修治を名乗っていたのだろう。 酒をたしなんでいた:夜な夜な痛飲していたに違いない。
 千歌の実家のモデルは、国の有形文化財で太宰治(1909~48年)ゆかりの安田屋旅館。若女将(おかみ)の安田麻紀さんは「お客さんは10倍は増えた」と聖地効果の恩恵を受けている。
吉沢智美ラブライブ!サンシャイン!!(沼津市) ヒロインたち躍り輝く街」産経新聞(2017/8/10) お客さんは10倍:アニメ放映から約10年を経過した現在では予約を取りにくい状況はほぼ解消し、旅館内も従前の落ち着きを取り戻している。
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